【エッセイ部門・優秀賞】突然の良いところ発見 蛾編

静岡県立焼津水産高等学校第3学年 星野学

「突然の良いところ発見 蛾編」

私がまだ五歳位、近所の山で遊んでいたときのことだ。その山は竹の葉が地面一杯に広がり、あたり一面が黄色にそまっていた。その中を元気に駆け回っていた私は、ふと足元に何かがいるのを感じた。地面をよく見てみると、二十センチはああるヤママユガがどっしりと構えていた。地面が黄色かったせいで、三十センチ手前まで来なければ、その存在に気付かなかった。羽の大きな目玉模様に圧倒され、私はその場から逃げだした。声を上げれば飛び付かれると思い、無言の全力ダッシュで山を駆け降りた。
この出来事が私の蛾嫌いの始まりである。十年以上たった今でもはっきりと覚えている。蛾が嫌いな人は星の数ほどいるだろうが、私はそのなかでも突出して蛾が嫌いだ。
大きい蛾は苦手でも小さい蛾なら大丈夫という人はいるだろう。だが私には大きさなど関係無い。蛾という分類ならば等しく嫌いだ。羽の目玉模様が嫌いな人も多いだろう。しかし、羽の模様も関係無く、とにかく蛾は嫌いだったから、家や公衆トイレの壁に貼り付いているのを見ると、鳥肌が立って、その場所には近寄り辛くなる。山奥のトイレなんかは窓が無いから、中が蛾だらけになっていて、思わず入るのをためらう。小便中に気付いたら囲まれていた、なんてことがよくあるからだ。蛾は私にたくさんのトラウマを植え付けてくれる。
心の底から大嫌いな蛾だが、最近蛾に対する考え方が変わるような出来事が起きてしまった。
ある日、私はとあるサイトで生物についての記事を探していた。すると、一つのイモムシの画像を見つけた。
透明な体にオレンジの斑点。イモムシというよりはガラス細工、もしくは手の込んだゼリーのようだった。そのイモムシの名前はジュエルキャタピラーといい、成長すると全身黄色の蛾になる。分類は日本で言うところの電気虫(イラガ)に近いものらしいが、見た目に差がありすぎて、本当に仲間かどうか疑うレベルである。「日本の虫もこんな見た目だったらなぁ」と思ってしまうほど、美しい虫だった。
この出来事をきっかけに、もっと色々な蛾について調べてみようと検索をかけた。ジュエルキャタピラーの印象が強かったので、「蛾 幼虫」で検索するつもりだったが、「蛾 」まで打ちこんだとき、検索候補の中に「蛾 可愛い」という文字を見つけてしまった。
一瞬わけがわからなかった。あんな嫌悪感バリバリの虫が可愛いはずがない。なんでこんな検索候補が出てくるんだ。あまりにも気になったので、そのワードで検索してみた。
すると、蛾の可愛さについて語るスレッドが立てられていた。「蛾が可愛いわけないだろ」と心の中でつぶやきながら内容を見ていると、蛾の顔を正面から写した画像が貼られていた。これらの画像は驚くことに、どれも可愛いと言えるものだった。
虫の顔というと、大抵の人は大顎に複眼で「ホラー映画で主人公達を追いつめる役」にぴったりなグロテスクなものを想像するだろう。しかし、蛾の顔は複眼に見えないクリクリとした黒目で、体毛に覆われていることも合わさり、まるで小動物のようだった。
羽を写した図が一般的すぎて顔を調べようとは考えもしなかった。まさか顔が一番のチャームポイントだったとは。あまりの驚きに、さらに蛾について検索をかけた。
蛾は触るとかぶれるイメージが強いが、毒を持つ蛾はごくわずかであること。扱いに天と地ほどの差がある蝶との生物学上の区別は無く、蛾の中には蝶に匹敵するほど美しい個体が多数いることなどを知ることが出来た。
まさか、大嫌いな蛾にここまでのめりこむとは予想外だった。どんな事も真の良さというのは、とても気付きにくいということだろう。
まだ蛾嫌いを克服したわけではない。近付きがたいし、出来れば遭遇したくないが、蛾に対する心の持ち方を変えられた。ただの害悪生物から、気持ち悪いけど、可愛い一面もある、くらいの認識にランクアップした。
苦手なものを調べることは、完全克服にはならないが、認識を改めることが出来る。それを体験できた充実の一日だった。

 

≪講評≫
ふとしたきっかけで大嫌いだった蛾に興味を持ちはじめ、蛾の顔が意外とかわいいとか、蝶と同じくらい美しい蛾がいることを知るなど、蛾に対する嫌悪感が薄 らいでいく心情をうまく描いた作品である。 美醜に対する表現力は巧みであり、徐々に蛾に親近感を持っていく展開も読者を引きずり込む力がある。ただ、今回はサイト検索のみで文章が完結してしまっているので、違う視点から興味を持つ方向に発展させれば、もっと奥行きのある作品になったと思う。

安藤卓