【エッセイ部門・優秀賞】駄洒落の文化

東山中学・高等学校第2学年 林良樹

駄洒落の文化

私は考えている……。
そう、駄洒落というのは私にとって頭の中から離れない存在なのである。「オヤジギャグ」と言った方が親しみが湧くだろうか。いや、逆に鬱陶しいと避けられるかもしれない。世間一般的にはあまり良いイメージで捉えられていないだろう。だが、これ程までに日本語の面白さを伝えているものはないのだ。
そもそも、駄洒落は基本的に同音異義語を用いて作られることが多い。これは誰でもすぐに作りやすく、分かりやすい。有名な駄洒落では、「バッタのバッター頑張ったー」などがある。また、少しテクニックを使った駄洒落として、単語をさらに分けて違う意味にするものもある。例えば、「アルミ缶の上にあるミカン」などがそうであり、まぁまぁ考えた感のある駄洒落が出来上がる。
次に、英語と融合させるものがある。「疲れを足湯でフットバス」などがそうであるが、会話の中ではなかなか気付いてもらえない。「足湯だけにね」というように聞き手が気付くように働きかけることも求められる。
さらに、「北海道はでっかいどー」のようにあまり掛かっていなくてもノリで押し切るという形もある。この形の駄洒落は記憶に残りやすい反面、リスクも大きくなる。
一方、駄洒落の使用方法にもパターンがある。その場に出てきた言葉を用いて一瞬の面白さを求めて使用する場合と、あらかじめ考えておいた駄洒落を使用する場合である。前者の場合は使用出来る状況が多くなるが、精度(レベル)は下がってしまう。後者の場合はその逆で精度は上がるが使える状況は限られてしまう。日頃から駄洒落をストックしておくのも良いかもしれないが、それに捉われて何度も同じ駄洒落をくり返すと面白さがなくなってしまう。駄洒落の寿命は長くないものが多い。せっかく作った駄洒落を無駄にしないためにも使用方法まで考えて欲しい。
ここまで駄洒落そのものについて説明してきたが、残念ながら駄洒落は言っている本人は楽しいが聞かされている方にとっては苦痛であることも多い。だがそれではいけないのだ。言葉を巧みに操ることによって生まれる駄洒落、それを可能にする日本語の面白さを知ってもらうためには、人々に受け入れられる且つレベルの高い駄洒落をつくらなければならない。勿論、聞かされたときに誰もが一度は経験したことがあるであろうあの脱力感は駄洒落の魅力の一つであるが、さらに上を目指し、誰も思い付かなかったであろう駄洒落を、面白く、上手い駄洒落を作りたい。
私は作った駄洒落を友人に言って反応を確かめている(聞かされている友人の本当の心の内は分からないが)。かつて作った駄洒落に、「火星の落火星はまーずい」というのがある。これは一人で作った訳ではないのだが、「火星」と落花生の「花生」、さらに「まずい」と“Mars(火星)”を掛け合わせたなかなか高レベルな駄洒落である。
「……おぉー。」
まぁまぁな反応であった。
また、「本当に日本刀を買ったな!?」というのもある。これは「本当」と日本刀の「本刀」、さらに「刀」と「買ったな」を掛け合わせた自信作である。
「……おぉー。普通に上手い(微笑)。」
確かに、自分で言うのも変だが上手い。しかしあまりにも上手すぎるためか少し面白さに欠けてしまった。それなら、とある発表会のときに咄嗟に思い付いた「富良野では雨が降らんのぅ」という駄洒落の方が反応は良かった。自分の中では良い出来ではなかったが、
「いつもより面白かったで。」
と多くの人から好評を頂いたもののノリで押し切った感じも否めなく、あまり腑に落ちなかった。その他にも数えきれない程作っているが自分の手応えもよく、周りの評価も得られる駄洒落を作るのは難しい。
駄洒落には面白さ、巧さ、そして寿命が短いという儚さも感じる。場の雰囲気を良くも悪くも一瞬で変えてしまう力は圧倒的であり病み付きになる。日本語を日常的に話している者として、やはり日本語だからこそ出来る駄洒落を、色々な人にその魅力を感じてもらいたい。駄洒落の魅力に気付いたとき、日本語の新たな一面を見い出すことができ、もっと言葉が好きになる。日本人が作り出してきた日本語の「金字塔」とも呼べる「駄洒落の文化」は世界に誇っても良いものである。是非ともこの「駄洒落の文化」は途絶えることなく受け継がれて欲しい。個人的にももっと成長し、理想を追い求めていきたい。おこがましい話ではあるが、この「文化」の発展に少しでも貢献していけたら何よりである。
だから私は考え続けている……。

 

≪講評≫
駄洒落もまた日本語の文化であると信じ、新しい駄洒落の創作に苦心し、できた駄洒落を友だちに披露し評価してもらう日々を綴っている。こんな高校生もいるのだという新鮮さと笑いを誘う作品である。駄洒落のつくり方から使い方までわかりやすく説明しつつ、駄洒落をこよなく愛する気持ちを伝える文章力は高く評価できる。惜しむらくは、審査員をうならせる駄洒落がなかったことと、海外の人にどうやって理解させるかの実例ないしはアイデアがほしかった。

安藤卓