【エッセイ部門 最優秀賞】 独房と彼女と私のエゴ

独房と彼女と私のエゴ

宮城県農業高等学校 第2学年 岩間 ほのか

独房の中、息を荒げながら苦しみに耐える彼女。次の瞬間に新たな光が誕生した。「はじめまして、この狭い世界に」
小さな頃から牧場巡りをするほどの動物好きな私。迷わず農業高校に進学し「牛部」に入部。ここは朝夕にホルスタインの搾乳と除糞、給餌を行う天国の様な場所だ。制服が臭くて も、香水の様に思えてしまう牛変態になるのに時間はかからなかった。
1年目の春、初めて搾乳する機会がおとずれた。牛達を見回すと真っ白な毛並みが美しい彼女に釘付けになった。不思議な魅力に心惹かれる。屁っ放り腰で搾乳すると勢い良く絞れて「おーすごい」と不覚にも声を漏らすと、シラッとした表情で私を見てきて気恥しかった。
ふと、彼女の足に目を向けると深い傷を見つけた。先輩に聞くと「この子は大震災の津波で奇跡的に生き残り、その時についた傷」とのこと。なるほど、その経験が異彩を放っていたんだと妙に納得した。その反面、傷が痛むために歩く姿はまるでお婆さんの様だ。そのギャップが好きでいつも一緒に過ごしていた。彼女のお腹に顔を埋めるとドクンと心地よい リズムが伝わってくる。胎内に新たな光を感じ、誕生するその日が待ち遠しかった。
2度目の春。牛舎に向かうと彼女は腹の底から深く息をしていた。痛みを紛らわす為に重い身体を揺さぶり、独房の中を歩き回っていた。待ちに待ったお産が始まった。後ろに回る血の気が引いた。産道から小さな足が見えるが頭が引っかかり出てこれない。すぐに足にロープをかけて3人がかりで引くとズルリと子牛が出てきたが動く気配がない。彼女が子牛を嘗め回すとピクッと動いて鳴き声をあげた。「やっぱり、母ちゃんは強いや」と母の愛情 に感心した。まさか、この幸せがすぐに壊れるとはこの時、知る由もなかった。
次の日、電車で移動中に「母牛が死んだ」とメールが届いた。「なんの冗談?」と思いながらも急いで牛舎へ向い、彼女の傍へ駆け寄ると、目の前には狭い独房の中で鉄パイプに首を挟んで死んだ彼女の姿があった。もがき苦しんだことを物語る様に、口やまぶたは開き、目は充血してる。変わり果てた姿に頭が真っ白になり嗚咽が止まらない。そこから出してあ げたくても体重は500㎏以上。私に出来る事は無かった。 首が挟まった鉄パイプを先生が電気工具で切断し始めると、熱で彼女の皮膚が焼け垂れていく。命がないと分かっていても、その姿を見るのが辛い。引きずり出された彼女に近づくと暖かかった乳房は冷たく、触ると牛乳が流れてきた。いつもなら搾乳をする時間。彼女 は命の灯が消えゆく中でも牛乳を作り続けていたのだ。 しばらくすると、クレーン車が来て彼女の足にロープを巻き付け吊しあげた。その姿を子牛と共に見つめながら強い喪失感にかられた。産業廃棄物として乱雑に扱われる姿はペットとは違う経済動物という現実を叩きつけるには十分だった。
それから何頭の牛とお別れしただろう。牛乳の生産能力が低い牛、人間に攻撃をしてくる牛、奇形で生まれた牛、お金にならなければ屠畜されて肉になる。人間の都合で左右される牛の運命とは何かと悩む日々が続いた。彼女との別れを思い出すと、いつしか自らの足で歩いて屠畜場行きのトラックに乗ることは「牛にとって幸せだ」と感じるようになっていた。この感情にむず痒さを感じる。そう、これは私のエゴでしかない。牛は1畳ほどの狭いすみかで一生を過ごし、人間様の牛乳を搾取し続けられる存在。だからこそ愛情を持つなどナン センスだと自分に言い聞かせた。
答えが見つかり淡々と管理をこなす中、再び出産に立ち合うことになる。奇しくも、彼女と同様に前足が出た状態で止まった難産だ。足にロープを巻いて引いても子牛は出てこない。時間だけがすぎ、母牛の体力も限界に近き「2頭とも駄目になる」という恐怖が襲った。しかし、母は何度もいきみ、勇ましさと我が子に注ぐ情熱で必死だった。希望があるのは途切れない母の愛情だけ。その姿が彼女と重なった時、私の中の靄が晴れて目の前の霧が晴れたような気がした。「新たな光を失いたくない」私は一心不乱で母牛の呼吸に合わせてロープを引き続けると、ズルッと大きな子牛が産まれた。震える身体で立ち上がろうとする中、大役を果たした母は必死に子牛を舐め続けている。2つの命を救ったのは捨てたはずの愛情だった。私は間違っていたようだ。涙が頬を伝い、自分を取り戻したような気がした。こ の日を境に迷わず牛に愛情を注ぐこを決めた。
牛は私に癒しと牛乳を与えてくれる。その恩返しとして誠意を尽くし、手をかけてあげる
ことが私にできる最大の愛情表現だ。自分のエゴを突き通すからには、呼吸を止めるその瞬 間まで、狭い世界で共に生きていく。