【小説部門・優秀賞】 僕たちを結ぶもの

獨協埼玉高等学校第1学年 山口 友梨乃

僕たちを結ぶもの

一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。いや、意味は分かるのだけれども。でも、その、何というか。
「市川啓太、死んだらしいよ。」
中学三年二組の同窓会が行われている焼肉屋の席で、僕の斜め前に座った昔から人気者だった彼は、唐突にそういったのだ。まるで何かのついでみたいな、そんな口調で。「え~?」中学校の卒業式から五年がたち、あの頃よりはるかに大人っぽくなった女性たちが、さもショックを受けたというような声を上げた。でも誰もそれ以上聞こうとはしない。皆の輪から自分一人、はじき出されたような感覚に陥った。肉を焼く、「ジュー」という音だけが、やけに鼓膜に響く。「なんで死んだの」とか、「いつ死んだの」とか、聞きたいことは沢山あるのに、喉がカラカラに乾いてしまってやっとの思いで一言、「ごめん、帰る」と言った。ショルダーバッグを掴んで出口に向かう途中、「おい、大丈夫かよ」と誰かに声をかけられた気がしたが、振り返らなかった。
市川啓太は変わった奴だった。きっと市川を知っている人なら皆、真っ先にそう言うだろう。中学三年生の四月に転校してきた彼は無口で、クラスの誰とも打ち解けようとはしなかった。今となっては知る由もないが、先生でさえも彼と若干の距離を置いているように見えた。しかし、そんな彼のミステリアスな雰囲気と、日本人離れした顔立ちは、中学生の女子を虜にするには十分すぎた。と言っても、市川自身は女子にもてることを望んでいた訳ではない。そんな彼女たちを見て鼻で笑うのだから、僕としては全く嫌味な奴としか言いようがなかった。そんな市川と、いたって平凡な僕が初めて会話らしき会話をしたのは、冬休みを目前に控えたある日の放課後だった。皆が下校したことを確認すると、市川は優雅な足取りで僕の席に近付き、「なあ、田原。冬休み、お前暇だろ?」と突然言ったのだ。驚いて、帰りの支度をしていた僕の手がビクッと止まった。田原というのが自分のことだと気付くのに、少々時間を要した。「あ、うん。」僕は皆より一足先に、高校が決まっていた。「うん、暇だけど。」少し声が上ずっていた。それをごまかすように僕が笑うと、市川も少し笑った。数十分前にエアコンが切れた教室が、やけに暖かく感じた。
同窓会が行われていた焼肉屋を出ると、気持ちが少し落ち着いた。外は寒かった。でも
気持ちが落ち着けば落ち着くほど、「なんで」とか、「どうして」とか、意味があるようで実は空っぽな考えが頭の中でぐるぐる回る。下を向きながらとぼとぼ歩いていると、そのスニーカーが今日のために買った新品であることを思い出した。もしかしたら市川に会えるかもしれないという淡い期待を抱いて、わざわざ今日のために買ったのだ。靴なんて、
どうだっていいのに。なんだか自分が馬鹿らしく思えた。スニーカーを見たくなくて上を見上げると、都会の街に星は一つも見えなかった。そしてまた、市川のことを思い出した。
二人で見上げた冬の星空は、中学三年生の僕たちの語彙力では説明できないほどきれいだった。
市川と初めて会話をした日から、僕の心は常にどこか浮いていた。二人だけの秘密を共有しているようで、皆に言って回りたいほどだった。「僕、冬休みに市川と出掛けるんだ」って。でも、もちろん実際にそんなことはしなかった。皆に言ったら、どんな顔をするだろうと想像してみるだけだ。それを行動に移さなかったのは、そんなことをして市川に軽蔑されたくなかったということもあるけれど、冬休み、勉強漬けになるであろうクラスメイトに軽々しく遊びの話なんてできなかったということもある。しかし市川は、いたってクールなままだった。朝、僕の脇を通り過ぎる時、ぼそっと小さな声で「おはよう」と言うだけだ。ニコリともせずに。でも、それでも僕はうれしかった。終業式の日、昇降口で僕を待っていた市川は早口で言った。
「一月六日、朝の十時に駅の改札口のところで待ってるから。あ、あと田原の宝物も何か持ってきて。」
そして一月六日、冬休み最後の日、僕たちは大冒険をした。大袈裟なようだけれど、きっとあれが最初で最後の『冒険』と胸を張って言える出来事だった。
家に帰ろうとして門の前まで来た時、ふっと思い出して来た道をそのまま引き返した。母には、久しぶりに皆と会うから帰りは遅くなると言ってある。時計を見ると、まだ八時を少し回ったところだった。今帰ったら、怪しまれること間違いない。なんとなく、事情を話すのも嫌だった。駅まで戻り、コーヒーショップに入った。窓からは、ちょうど駅のロータリーが見える。高校生と思われる男子二人が、何か言ってから互いに手を振り、逆の方向に歩き出した。そのありふれた光景は、五年前の僕たちと重なった。でも、彼らとは違う。きっと彼らは次、また遊ぶ約束をして別れたのだろう。もしくは約束などしなくても、いつでも会えるのかもしれない。だが僕たちに『次』は訪れなかった。僕たちだって彼らと同じように、手を振って別れたのに。僕にとって『バイバイ』は、『さよなら』という意味ではない。『またね』という意味を込めたはずなのに。
一月六日、僕と市川は約束通りの時間に、約束通りの場所で会った。心のどこかに、市川は待ち合わせの場所に現れないのではないか、僕をからかっているだけなのではないか、
と疑っている気持ちがあっただけにうれしかった。そして、彼を一瞬でも疑った自分が少し、恥ずかしくなった。初めて見る市川の私服姿は大人っぽくて、自分がやけに幼く思えた。切符を買おうとして、僕はまだ今日の行き先を知らないことを思い出した。
「なあ、今日どこに行くの。」
市川が答えた地名は、僕の全く知らない場所だった。電車を三回乗り換えるという。電車に揺られている間、ほとんど何もしゃべらなかった。目的の駅に着いた時まず最初に思ったことは、「何もない所だな」ということだった。それをそのまま呟いてみると、「何もないから好き」と市川が楽しそうに言った。「ここからバスに乗るから。」と市川が言うので、「もうそろそろ目的地を教えてよ」と言ってみると、「着いてからのお楽しみ」と、歌うような声が返ってきた。バスの中でも相変わらず無言のままだったが、隣から伝わる市川のテンションがいつになく高いので、なんとなく楽しくなってきた。バスを降り立つと、ふわっとしょっぱい匂いがした。ザーという音も聞こえる。目の前は海だった。海に行くのなんて何年ぶりだろうと思った。小さい頃は、家族揃って夏休みに海に出掛けていた記憶がある。潮の匂いと、絶え間なく響く波の音。砂浜の上を歩く感覚。そしてこの景色。海から吹く、一月の凍てついた風でさえも心地良かった。ふと気が付くと、市川の姿が見えなくなっていた。どうやら一人で歩いてきてしまったらしい。迷子になった気分になって少々焦った。こんな見知らぬ土地で一人ぼっちになったら、どうしていいか分からない。「おーい、田原。」遠くで僕を呼ぶ声がした。声のする方に走ってみると、市川が笑いながら手を振っている。こっちに来いということらしい。「迷子になったかと思った」と照れ笑いすると、「でも、なんかお前楽しそうだったよ」と言われた。「たまには迷子もいいかもな」と市川が呟いた。隣にいるのに、市川の考えていることが全く分からなくて、「子供っぽいし、恥ずかしいよ」と言った声が少し投げやりになってしまった。市川は愉快そうに、「僕たちはまだ子供だよ」と言った。そして小さな声で、「きっと」と付け足した。「さぁ、行こう」と市川が歩き出したので僕も彼の後に続いたが、砂浜を歩いて果たしてどこに向かっているのか、見当もつかなかった。ここはどこだろうと改めて思った。砂浜を歩いていても、大して景色は変わらない。寒そうな、深い色をした木々が左側にあって、右側は一面の海。人の気配は全くない。たまに、車が走っているのが遠めに見えるだけだ。その車の音すら、波にかき消されてしまって聞こえない。そして今、何時だろうと思った。時計は持ってきていない。まさか、こんな何もない所に来るとは思っていなかったからだ。本当に大丈夫なのだろうかと不安になってきた。それで何か話そうかと思ったけれど、考えれば考えるほど話題は見つからなくなるものだ。突然市川が立ち止まった。そして、脇にとめてある一隻の舟を指差してから顎を上げた。市川の視線の先には、島、というか、あれは大きな岩だろうか、があった。距離としては、三百メートルといったところだろうか。「えっ、あそこにいくの?この舟に乗って?」市川の考えていることが、ますます分からなくなった。しかし市川は満足そうにうなずき、ロープをほどき始めた。不安そうにしている僕を見て、「大丈夫だよ。僕たちは子供だから」と、少し真面目な顔になっていった。
子供だから駄目なんじゃないのかと思ったが、市川が大丈夫だと言うのだからきっと大丈夫なのだろうと、妙な自信がわいてきた。そして、あぁ、僕は誰かに大丈夫と言ってほしいだけだったのだなと気付いて、自分の臆病さに自嘲した。しかし、「舟なんて漕げるんだ」と僕が感心して言うと、「うーん、どうだろう」と、曖昧な答えが返ってきた。だから、舟に乗るまで内心ヒヤヒヤしていたが、そんな僕の心配は御無用だった。市川は、慣れた手つきで器用にオールを操った。途中で一度、代ろうかと言おうとしたが、自分が代ったところで漕げないので無駄だと思い直して止めた。舟は無事、目的地に到着した。市川が先に降りて、舟を岩の尖った部分に括り付けた。「滑るから、足元気をつけな」と言って、僕が舟から降りるのを手伝ってくれた。「こっちに来て」と言って市川が案内した場所は、高さ一メートル、奥行き三メートルほどの、岩でできた窪みだった。手招きされたので体を縮めて入ってみると、不思議な音がした。海の中から、地球の中心から響いているような音だった。体の芯までその音が響いて、心臓の動悸が早くなった。窪みから出て、「あの音は何?」と聞くと市川は、「地球の怒りの音」と真顔で言ってから、いたずらっぽく笑った。しかし僕は妙に納得してしまって、「確かに、地球が怒ったらあんな音がするかもしれない」と言った。すると市川は、「な訳ないじゃん」と笑ってから、「あれは多分波の音だよ」と言って空を見上げた。太陽が傾き始めている。「田原、宝物持ってきてくれた?」と市川が言ったので、僕はリュックから用意してきたものを取り出した。受験が終わって、一か月ほど前に買ってもらったゲームのカセットだ。市川が持ってきたのは、不思議な模様のついたストラップだった。市川はそれを僕に預けると、先ほどの大きな窪みの中に入っていった。少しして窪みから出てきた市川は、手に缶ケースを抱えていた。僕は気が付かなかったが、どうやら奥に隠してあったらしい。市川は僕の前で、その缶ケースのふたをそっと開けた。ミニカーや貝殻、指輪、ゲームのカセット、紙飛行機、CDなどいろいろなものが、その缶の中には詰まっていた。市川は、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「今、大事にしているものも、きっといつかゴミになっちゃうんだよ。どうしても欲しくて、やっとの思いで手に入れたおもちゃも、いつかきっと、それがなんでそんなに欲しかったのかさえも分からなくなっちゃうんだよ。それって、すごく悲しいことだよね。」
そう言って市川は、自分が今日持ってきたストラップをその缶の中に入れた。その目は少し、潤んでいるように見えた。そして僕に、「もしも田原が嫌じゃなかったら、今日の記念にそのゲームのカセットをこの缶の中に入れて帰ってほしいな」と言った。まだクリアし終わっていない、買って一か月のゲームのカセットを手放すのは惜しい気がしたが、そんなことはちっぽけな、どうでもいいことのように思えた。缶の中にゲームのカセットを入れると、なぜだかすがすがしい気分になった。市川は「本当にいいの?」と念を押して、
缶のふたをそっと閉じた。そしてまた、窪みの中にその缶を戻しに行った。戻ってきた市川は、一仕事終えたような、ほっとした顔をしていた。辺りはすっかり暗くなっていた。僕はもう、くたくただった。だから、「さあ、帰ろう」と市川が言って舟に乗ったあたりから、僕の記憶は曖昧になっている。しかし一つだけ、はっきりと覚えていることがある。
あれは多分、市川の漕ぐ舟に乗っている時だったと思う。夜空は、都会で十五年を過ごした僕には信じられないほどたくさんの星で埋め尽くされていた。今でも、あれは夢だったのではないかと思うことがある。それほど素晴らしく、感動的な星空だった。そして、満天の星空を見上げながら市川は言ったのだ。「きっと、死ぬのって怖いから、僕たちは弱いから、昔の人たちは死んだら人は星になるってことにしたんだろうね。だってさ、死んだらこの星のどれか一つになると思えば、なんだか怖くなくなるもんね。」
はっと目が覚めた時、僕は電車の中にいた。隣に座っていたはずの市川は僕の前に立っていて、僕の隣には知らないおばあさんが座っていた。僕は恥ずかしくなって、寝ているふりをした。そして僕たちは、駅にあるこのコーヒーショップの前のロータリーで別れた。僕が「バイバイ」と手を振ると、市川も「ありがとう」と言って手を振り返した。その時僕は、これきり一生もう市川と会えない可能性など微塵も考えなかった。むしろ今日を境に、これからもっともっと仲良くなっていけると信じて疑わなかった。それなのに、次の日学校に行くと市川の姿はなかった。朝のホームルームで担任の先生は、市川が転校したという内容のことを手短に話した。クラスはいよいよ受験一色になり、市川の存在は自然と忘れられていった。僕の記憶に、あの星空と言葉だけを残して。
ふと気が付くと、コーヒーショップにいた周りの客の顔ぶれが、随分と変わっていた。どうやら、長い時間居座ってしまったらしい。時計の針は、十時を指していた。コーヒーショップを出ると、駅の方から知った顔がこちらに向かって手を振りながら歩いてきた。先ほどの同窓会で、焼肉屋にいたうちの一人、池田である。なんと間の悪いことか。今更知らん顔もできず、苦笑いをしながら手を振り返した。
「さっき焼肉屋で俺が声かけたのに、田原聞こえない振りしただろう。それより、お前なんでこんなところにいるの。」
焼肉屋で僕に「大丈夫か」と声を掛けたのは池田だったらしい。いい言い訳が思いつかず、言葉を濁した。それで、「なあ、池田は市川が死んだってこと知っていた?」と聞いた。
「いや、知らなかった。でも、それがどうしたの?」
そうなのだ。皆にとって市川は、それほど記憶の薄い人なのだ。そして、僕と市川が大冒険をしたことは誰も知らないのだ。二人の間に、あの日確かな絆が芽生えたということも。いや、本当に絆なんてあったのだろうか。ただ僕が、勝手にそう思い込んでいるだけではないのか。現に僕は、市川のことを何も知らない。池田と別れて家に帰ると、玄関で母が出迎えた。
「おかえり。そういえば今朝、あなた宛てに封筒が届いていたわよ。」
なんとなく気になって、急いで封筒を受け取ると、そこに差出人は書かれていなかった。
封筒を触るとでこぼこしていて、どうやら手紙ではなさそうだ。しかし、開けなくても指の感覚だけで中身が何だか分かった。封を切ると、思った通りあの時缶ケースに入れたゲームのカセットが出てきた。その上に涙がこぼれ落ちた。確かに僕は、市川の過去を何も
知らなかった。中学三年生の一月六日以降の年月を、彼がどのように過ごしたのかも分からない。あの日、市川と冒険をしたのが僕だったのも、『高校が決まっていて、暇そうだから』というただそれだけのことだったのかもしれない。それでも、信じていいだろうか。
僕と市川は、固い絆で結ばれていたと。そしてこの先もずっと結ばれていると。窓の外の夜空に、相変わらず星は一つも見えない。でも今僕が見えないだけで、そこには無数の星がある。そしてきっとその内の一つは、市川なのだろうと思った。『市川の分まで精いっぱいに生きるよ』なんて大層なことは言えない。だけど。市川にだけ届くように、僕は呟いた。
「市川と過ごしたあの日と、このゲームのカセットを、僕は一生忘れないよ。」