【小説部門・優秀賞】 無用の感性とその末路について

愛知県立愛知商業高等学校第2学年 中尾 ひより

無用の感性とその末路について

「さくらって知ってる?」
試験の帰り道、宮田が何の前触れもなくたずねてきた。
「エキストラみたいな奴らのことか。」
わりと真剣に答えたのだが、一笑された。
「そうじゃなくて、植物のだよ。大きくて、何年も生きる樹なんだけど、四月には綺麗な
花を咲かせるんだ。」
「食べられるのか?」
「うん。あんまり腹に溜まらないらしいけれど。主に観賞用だよ。僕は去年見に行ったけ
れど、本当に感動する美しさだ。」
食に関わらない植物には明るくない。というか、今のご時世、知っている奴の方が珍し
いんじゃないのか。
「昔はこの辺りにも、そこら中に街路樹として植えられてたらしいんだけど、今は隣町の
方にまばらにあるだけ。食料にならないから伐採されたんだね。」
「お前って、いろんなこと知ってるよな。そんなこと、試験にも出ないのに。」
「六歳の時の試験範囲だったよ。」
まじか。
「受かってるといいな。」
宮田はマフラーを結び直し、呟く。
「お前なら受かるどころか、また満点一位だろ。余裕そうだったじゃん。最後の方、時間
余ってずっと見直ししてたの、知ってるんだからな。いいよなあ、頭いい奴は。」
肩を小突いてやる。宮田は困ったような顔で笑った。
生存試験。生試ともいわれる。数十年前に全世界で始まったもので、年齢が六の倍数に
なる全国の人間が、一斉に試験を受けるのだ。内容は筆記と実技。筆記試験は年齢によっ
て分野が変わり、実技はスポーツに限らず、家庭科や芸術など多岐にわたる。筆記、実技
両方七十点以上で合格となる。
この試験で問われるのは、その名の通り生存する資格だ。不合格になれば死ななくては
ならない。
百年ほど前、異常気象や疫病、人口爆発が重なり、世界的な食料難が起こった。自国を守ろうと貿易はストップされ、食料自給率の低い日本は大飢饉を迎えた。輸出する側だった外国も、結局は食料を奪い合う暴動が国内で勃発し、まさに世紀末の有り様だったそうだ。
そこで各国の首脳間で考案され、苦渋の決断の末に採択、実施されたのが生存試験だった。当初は反対意見もあったが、人間同士の愛情は目前の飢餓に勝てなかったそうだ。それからずっと、試験は続けられている。
生きることに資格を設け、良質な人間だけを残せるように。
俺は試験対策の問題集を閉じた。『生試の成り立ち』は、十八歳の部の分野だ。今回俺たちが受けた生試にも、今の文章が出題された。学校の授業でもやったし、教科書も読み込んだから、ばっちり解けた。宮田を家に誘い、さっそく自己採点してみたが、合格できそうだ。実技も芸術分野以外は自信がある。
「命がつながりました。」
俺はあぐらを解き、仰向けに床に倒れこんだ。採点そっちのけで読書にふける宮田の膝を、机の下で蹴る。反撃に、足の親指に爪を立てられた。
「いてぇ」
上体を起こす。宮田は知らん顔で本のページをめくった。
宮田は頭がいい。普段の学校の考査はもちろん、生試の筆記も過去二回とも満点合格という、俺に言わせればガリ勉だ。
生試に合格するのは、日本で教育を受けていればそれほど難しくないが、満点は本当に稀だ。三問くらい、どんな対策問題にも載っていない、授業でも習わないような問いが出題される。それを解けたのは全国で四人。そのうちの一人が宮田だった。生試の結果は生存資格だけでなく、将来の進路にも関わる。それも本当にトップクラスの成績をおさめた奴だけだが、宮田のことだ、どうせ今回も好成績のはずだ。これから、政府から直々に手紙が来て、コーキューカンリョウとかになるのだろう。実際、前回の生試の後、宮田の家に政府関係の人が訪れたことを知っている。
机に肘をついて、宮田の本を見る。表紙には『現代日本』とあった。
「お前、読書ジャンキーだよな。」
「面白いんだよ。知らないことが色々載ってるし。」
「金のかかる趣味だよなあ。本って今時高いだろ。」
「大飢饉時代に食べられたり、暴動で燃えたりしたらしいからね。生試の用紙に紙を回すから、ほとんど刷られることも無くなって。」
まあ、読んでも意味ないもんな。小説とか古典とか、そういう文章は生存試験で出題されない。
俺はテレビをつけた。天気予報や、今週配給される食料がニュースで放送されている。
「あ、今週ジャガイモ多い。カレー食べれるかな。」
「さあ……」
宮田は生返事をして、本を閉じた。
「大飢饉時代より前の人たちが羨ましいよなあ。配給の品目を気にせずに好きな物を食べられたんだろ。」
こんな時代だが、俺は食べるのが好きだ。
「でも、基本的な暮らしは、飢饉より以前の人たちと今の僕たちと、あまり変わらないらしいよ。」
『現代日本』を指差す。その『現代』は何年前の話なのか。
「本当に苦しかったのは飢饉時代だけだったんだ。初期の生存試験は今よりずっと判定が厳しかったから、義務教育を受けられない人たちや、ハンディを持つ人たちはほとんど亡くなって、今はもう、生試なんかなくても充分、皆生きていけるんだ。」
惰性だよ。と、宮田は言った。珍しく、棘のある言い方だった。
「でも今もまだ異常気象は頻繁にくるし、間引きしとかないと危ないんだろ?」
「だったらこんな不自由のない暮らしを諦める方が先だ。君、空腹を感じたことないだろう。」
確かに配給される食材はいつもたっぷりあった。冷蔵庫があるから保存もできる。
「生試なんて本当はもう、やらなくてもいいはずなんだ。間引きしないと危ないのは、僕らの今の生活であって、僕たちの命じゃないんだ。」
宮田はしきりに本の表紙を撫でた。俺は宮田の丸まった背を叩いた。
「なあ、色々考えすぎだって。とりあえず生試さえ受かっておけば、生きてられるわけだし。それにそんなこと言ったって、どうしようもないだろ。意味無いよ。」
宮田は俺の手を払いのけ、テーブルを叩いた。コップが倒れ、水が広がる。
「皆、」
宮田はコップを掴んで、あろうことか投げつけてきた。
「皆そうやって言うんだ。意味がないって。桜もマグリットも夏目漱石も、どうせ生存試験に関係ないって捨てるんだ。僕らは試験のために生きてるのか。それこそ意味なんてないだろ。」
「おい、落ち着けって。漱石とかはさすがに知ってるよ。中学で習ったろ。『坊っちゃん』とか。」
うろ覚えの題名を引っ張り出し、なんとかなだめようとする。宮田は黙り込んだ。怒りが萎んでいくのが分かる。俺も力が抜けた。腰を抜かしているかもしれない。
「……なら君は、どう思ったんだ。それを読んで。」
完全に不意打ちできた質問に、俺は間抜けな声が漏れた。宮田は立ち上がり、見下ろしてくる。
「どうって……」
正直に言えば、なんとも思っていない。なにも感じなかった。だって、そんなことは、
生存試験に出ないから。生きていくうえで関係ないから。普通にしていれば誰も死ななくて済むし、死んだところで、知ったことではない。皆そうであるはずだ。宮田が無駄に悩んでいるだけだ。
答えられずにいる俺を一笑すると、宮田は本をカバンに詰め、ハンカチで机上の水をふき取ると、静かに家を出て行った。
一か月後の、ある朝。家に生存試験の結果が届いた。合格していた。いつも通りの平均的な点数で。親は一安心といった顔で俺を学校へ送り出す。俺は携帯で宮田に合格報告をした。
宮田はあれだけ怒鳴っておいて、翌日には普通に話しかけてきた。こっちは絶交を覚悟しただけに、肩透かしを食らった気分だ。
きっと今回の合格も、喜んでくれる。
でも、宮田は学校に来なかった。今まで皆勤だったのに、今日に限って休んだ。携帯の返信も無かった。
嫌な予感がした。宮田に限ってそんなことは絶対にないはずなのに。
終業のチャイムと同時に走り出した。向かうところは決まっている。
宮田の家に着くと、目を真っ赤に腫らした宮田のおばさんが出てきて、中に通してくれた。久しぶりに来た宮田家は、以前よりずっと静かに感じた。
背中を丸め、居間のソファに座りこんだおばさんは、悲しそうだったが、それだけのようだった。怒りとか、そういうのは無さそうだった。
階段を上がり、宮田自身の部屋へ入る。何度か遊びに来たここには、相変わらずよく分からない小説とか、画集がある。その中に件の、夏目漱石の『坊っちゃん』があるのを見つけた。表紙が擦り切れていて、押し花の栞が挟んであった。
生試の当日を思い出す。俺の隣で試験を受けていた宮田。その手が動いていないのは見直しだと思っていた。あいつは最初から、鉛筆を触ってすらいなかったのだ。
日に焼けた本の表紙を撫でる。
「お前なら、意味のないことを止めさせることも、できたんじゃないのか。」
生試への反対意見は、今も皆無なわけではない。ただ、表面化していないだけだ。覆っている方が都合がいいし、何も考えなくていいから。
俺は下に本を叩きつけた。
栞の挟まったページが開いた。開き癖がついていたのだろう。登場人物の中の一人に、鉛筆で線が引かれていて、小さく、『僕』と、書かれていた。