【小説部門・最優秀賞】水炊き列車

筑紫女学園中学校・高等学校第3学年 山田ひかり

水炊き列車

がたん、ごとん、という音。
あの煙突から出ていく黒い煙。
機関車を動かすために、石炭をくべる仕事なんてあんまり面白くはなかったけど……。
そんな日常に飛び込んできた非日常を、今でも時々思い出すんだ。

駅を出発してすぐの時は気づかなかった。ボイラーの中に石炭をくべながら、隣で運転してた炳さんとだべってたよ。
炳さんがさ、最近目新しいもんがねえなあ、こないだ日露で戦って勝っとったのにもう皆飽きとる、とか言うから俺はびっくりしてさ。ロシアに勝って一年も経ってますよ、こないだってことはないでしょう、って返したんだよ、確か。そしたら炳さんは、五十年も生きたら一年もこないだの内に入るばい、これやけん最近の若もんは……ってさ。二十かそこらの若造は、耳をふさぐしかなかったね。
それで、目新しいものなら、イタリアで万国博覧会っていうのがあってるらしいという事を教えたんだ。でも、行けもせんとにそんなもん楽しめるか! って言われた。あと、入場料を払える金持ちの奴だけを選んで楽しませるものは嫌いなんだと。一理はあるよな。
そのときだ。なぜだか機関室の屋根の上から、小さく人の話し声がしたんだ。
炳さんも気がついたみたいだった。けど、機関車の駆動音のほうが断然でかかったから気のせいかもしれないな、なんて思ってた。それでも一応、耳を澄ましてたら、今度は前よりはっきりと声が聞こえたんだ。しかも、女の声で。
炳さんと顔を見合わせたよ。機関室の上から人の声がするなんて普通ないよな。この機関車は貨物列車だしな。
つまり、だ。
無賃乗車かこのアマ!
すぐに機関室の窓から身を乗り出したんだけど、さすがに屋根の上までは見えない。仕方がないからそのまま屋根に飛び乗ったよ。あ、真似するなよ。危ないから。
勢いよく飛び出したのはいいが、すぐに煙でそれどころじゃなくなって、慌てて煙が来ない高さまでしゃがみこんだ。もちろん煙突に背を向けて。
屋根の上には人はいなかった。逃げられた、これじゃあ無賃乗車を捕まえられないじゃ
ないか、って思いながら、顔を下げて咳込んだ。そんな体勢じゃ何もできない。で、とりあえず顔を上げてびっくり。
十歳にもならないような女の子と、五歳にはなってるかなあってくらいの男の子がさ、炭水車の上で膝抱えてしゃがんでんの。
え? 炭水車って知らない? ほら、機関室の後ろにある、石炭と水でいっぱいの車両。あれが炭水車。水は下のほうに貯められてるから、外からは山積みの石炭しか見えないんだけど。
それで、話は戻るけど、子供二人が炭水車の上にいたんだよな。うん、つまり石炭の上に座ってたんだ。
大人がいるんだとばかり思ってた俺は拍子抜けしちゃってさ。子供たちのほうも慌てるでもなく、いきなり現れた俺に目をまん丸くさせてた。色々聞きたいことはあったんだけど、機関室の上と炭水車の上じゃ危ないから、いったん二人を機関室の中に下ろしたんだ。炳さんも、乗っていたのが子供二人だってことに驚いてたなあ。
子供たちは、見るからにいい服を着てた。女の子のほうは、今女学生に流行りのハイカラというやつ。頭には大きなリボンで、紫色の袴に黒の編み上げ靴。それに、麻の葉繋ぎの風呂敷を抱えていた。男の子のほうは、白が基調の着物に紺の袴、ざんぎり頭。石炭で少し黒くはなっていたけど、全く布にくたびれた感じがなかった。
あと顔色も良かったね。無賃乗車をする奴はたいてい、満足にものを食えていなくて、顔色が良くないやつが多いのにな。金がないからタダ乗りもするんだよ。
それを考えると、見るからに育ちよしの子ら二人を捕まえたことがなんともちぐはぐな感じだった。
何か大変な事情があったんじゃないか……なんて考えてたら、炳さんが、お前ら、何で炭水車の上に座りよったとか、って。そうしたら、特に逡巡するような素振りも見せずに、二人は普通に話し出した。
確か、女の子の名前は月島とみ子、男の子の名前は月島弥太郎と言って、八歳と六歳の姉弟だった。なぜか二人は流暢な標準語をしゃべっていて、方言のカケラもなかったね。でも訊いてみたら、鹿児島から来たんだと。うん、その貨物列車は鹿児島から博多に行く列車だったんだ。
炳さんは俺以上にその子供らが気になったみたいでさ、なんかもう、何でも訊いてたね。まさに根掘り葉掘りってやつ。
それで、訊く奴が訊く奴なら答える奴も答える奴さ。特に姉のとみ子は、見た目が女学生ってだけじゃなくて口調も典型的な女学生なんだ。そうだわ、とか、よくってよ、とか。
まだ八歳だぜ? 女学校に行く歳でもないだろうに。まあ、背伸びがしたい年頃だったんだろう。
対照的に、弟の弥太郎は普通だったなあ。方言は使わないけど、いたって普通の男の子。ちょっとおとなしい。とみ子の口調が強かったから、そう見えただけかもしれないが。
その二人について分かったことは、父親がお役所の偉い人ってこと。まあ、大体予想はついてたけどな。それから、とある博覧会を見るために博多まで行くつもりだということ。
お金の何たるかが分かっていなくて、無賃乗車の自覚がなかったこと。
とんでもない箱入り姉弟が乗って来たもんだ、とその時は思ったよ。でも、とみ子と弥太郎は、ミラノに行く、って声をそろえて言うもんだから更にたまげたね。
事の発端は、二人の両親の会話だったそうだ。
ある日の朝食の時、母親が父親に、ミラノの万国博覧会に行きたい、と言い出したらしい。俺と炳さんが話してた、「行けもせん」イタリアの博覧会がそれだ。最近の金持ちってやつは……。
それで、万国博覧会へ行くことに父親はだいぶ渋ったが、母親が、今年はもう新しい髪飾りはいらない、新しい帽子も買わなくていい、傘も靴もいい、とまで言うもんだから、とうとう折れたんだと。
で、母親は大喜び。一緒に話を聞いていたとみ子と弥太郎も、まだ見ぬ異国に思いをはせたに違いない。
だが、父親に仕事が入ってこの予定はおじゃんになった。母親は膨れた。とみ子と弥太郎も膨れた。俺としては、この時の父親が気の毒でならない。
母親は文句を言いながらもあきらめたんだが、あきらめきれないのがこの二人。イタリアもミラノもどこにあるかなんてとんと分からなかったが、とりあえず両親に、姉弟だけで博覧会に行く! ミラノに行って、世界を見てくる! と高らかに宣言したそうだ。
ここで両親のどちらかだけでも、二人を止めていれば違っていたのかもしれない。
だが所詮は八歳と六歳の姉弟だ。母親は笑って、いいわね、いってらっしゃい、と言って、父親は、早めに帰ってくるんだぞ、などと言う。いよいよ二人は本気になっちゃったんだ。
まあ、誰でも子供がミラノまで行けるとは思わないだろうけどさ。行こうとして、結局行けなくて、どうしようもなくなって帰ってくるのが関の山って考えるのが普通なんだろうけどさ。
ミラノには行けなくとも、二人が何かしらやらかすことくらいは予想しておくべきだったよな。
子供の行動力っていうのは、なかなかに恐ろしいって思ったね。ミラノに行くには船に乗らないといけないわけだが、当然、鹿児島にはミラノへの直行便がない。がっかりしていると、博多に行けば何とかなるらしいということを聞いたらしい。誰が言ったのか分からない噂だったが、そのままこの博多行きの貨物列車に飛び乗った……ということだ。
二人は話し終えた時点でも、まだ本気でミラノに行こうとしている様子だったんだよ。だから、金が無いと行けねえよ、って言ってやったよ。ツケじゃミラノまで行けないもんな。
金って何? って弥太郎が訊いてくるからさ、いろんなものと交換できる魔法の紙切れ、
って答えたような気がするな。あと、子供には簡単に金は回ってこない、とも言ってやった。
それを聞いた二人はあからさまにがっかりしてたよ。無謀なことするなあ、って炳さんと一緒になって笑ったら、今度は泣きそうな顔になっちゃってさ。ちょっと可哀想だったな、なんて思って、今乗ってる列車は特別な列車なんだぞ、って話をしてやったんだ。
特別な列車って言っても、空を飛ぶわけじゃなかったけどさ。運ぶものが特別だった。俺たちが乗ってた列車は、水炊き列車って呼ばれてたんだ。
何で水炊き列車なのかって? まずな、博多に、水炊きっていう鍋物を専門に出す店があるんだと。その水炊きがうまいって評判なんだよ。
主な材料は豆腐、ネギ、えのき、甘藍(キャベツ)、そして鶏肉だ。俺が思うに、うまさの秘訣は鶏肉だと思うね。その時は食べたことなかったけど。なんでも、店主だか料理人だかのこだわりで、鹿児島と宮崎の雄鶏の肉だけを選んで使ってるんだと。肉の柔らかさが違うらしいな。
この列車は、そのこだわりを実現するために走っていた。水炊きに使う鶏肉だけを運ぶための貨物列車だったのさ。だから水炊き列車って呼ばれて、ちょっとした見世物のようにもなってたんだ。
こんな感じで話して、あれ、あんまり面白い話でもなかったなあ、なんて後悔したんだけど。どうしてどうして、とみ子と弥太郎の目はミラノに行こうとしてた時のそれと同じだったんだ。
ちょっといたずら心がわいてさ、水炊きがそれはそれは美味しいって話もしてやったんだ。
水炊きと言えば、まずスープだね。鶏のうまみがたっぷり染み出たスープで、あっさりした味の中のあの深み! あと、中の具材もなかなかのもので、鶏の旨さは言わずもがな、甘藍の甘みも何とも言えないな。箸が進んですぐに体が温まる。シメには飲み切らずに残しておいたスープに、卵と米飯を入れて、おじやでいただく。……本当、食べたことなんてなかったのに、よくああもしゃあしゃあと語れたよな、俺。聞いた話をつなげただけだったのにさ。
とみ子が弥太郎のほうを向いて、すごくおいしそうね、って言った。弥太郎もとみ子のほうを向いて、すごくすごくおいしそうだね、って言った。食べたいとは言ってなかったけど、ミラノに行く話をしてた時と同じ目だったから、二人の中で水炊きを食べることはその時すでに決定済みだったのかもな。
それを見て俺は、そんなにうまいものを食べるのにも金が要るんだぞお、って言おうとしたんだよ。そしたらとみ子がさ、そんな世界があるのね、ってこぼしたのを覚えてるよ。それで炳さんと一緒に笑ったら、何がおかしいのよ! って怒られた。
もちろん俺たちは、「世界」だなんて大げさだ、って笑いながら返した。そしたら、ミラノの博覧会も水炊きの味も、知らないことには変わらないわ、ってさらに怒られた。知ら
ないことはいつでも自分が知ってる世界の外にあって、それを追いかけようとするのは、笑われなきゃいけないことなの? ……これを言ったのは弥太郎だったかな。うまいこと言ったよな。
そんな風に言われちゃ笑えないよなあ。俺も弥太郎やとみ子くらいの時には、自分の知らない世界を追っかけまわしてたもんなあ。いつの間にか、そんなことしなくなってたんだけど。俺、まだ二十かそこらの若造だったのにさ。あと十数年経ちゃ二人も俺みたいになっちまうのかなあ、いつ二人は俺みたいになっちまうのかなあ、って思うと少しむなしくなった。
で、あれ? じゃあ、いつから俺は自分の知ってる世界だけに安住するようになったんだろう? って考えたんだ。けどさ、そのきっかけみたいなものに全然心当たりがなかったんだよ。
それに気がついた瞬間、なんだか、心底いやだって思った。俺は偽りの安住をしちゃってるんじゃないかって。……ああ、うまい表現じゃないのは分かってるよ。とにかく、いやだったんだ。
知らないうちに、自分が世の中の常識に飼い殺されていってるような気がしたんだよ。泥みたいな空気を吸い続けて、目に映るものが濁っていってるような気がしたんだよ。
その時まで微塵も思ってなかったんだけどさ、急にとみ子と弥太郎が羨ましくなったね。純粋な無謀さで突っ走れるあの二人がさ。未知の世界を追いかけられる二人の目には、きっと何もかもが眩しすぎるくらいに輝いて見えてるに違いないんだ。
笑われなきゃいけないことじゃないな、って俺が言ったら、知らんことはどんどん追っかけろ、って炳さんが付けたした。二人は歯を見せてにっ、って笑った。その顔がすごく似ててさ、ああ、やっぱり姉弟なんだなって思ったよ。
そこから博多に着くまでは何もしゃべらなかったなあ。とみ子も弥太郎もこてんと寝ちゃってさ。二人の住んでるお屋敷の場所は分からないが、そのお屋敷を出て汽車に乗りこんだ鹿児島の駅に行くまでに、たくさん歩いて疲れたんだろうな。それとも人力車に乗り疲れたか。
博多に着いてもまだ寝り込んだままだったから、機関室の隅に二人を放って、荷下ろしやら石炭の補給やらをした。そうして仕事が終わって戻ってみると、あいつらは消えてんだよ。炳さんと大慌てで探したさ。さいわい、とみ子のあの格好が目立ってたからすぐに捕まえられた。
知らないことは追っかけろ、って言っても、博多まで送ってハイさようなら、ってわけにはいかないよ。いくらなんでも。
俺の両脇に抱えられた二人は干された布団みたいになってたな。まあ、自分たちを焚き付けた本人に捕まえられちゃ、そうなるのもしょうがないか。
恨めしそうな顔で見つめられたから、タダ乗りされて食いっぱぐれるのは俺らだからな、って言ったんだ。干された布団みたいになってたのが、更に力が抜けて、しおれた青菜み
たいになっちまった。
弥太郎は、水炊き、食べたかったなあ、ってつぶやいてた。とみ子は、博覧会、見に行きたかったなあ、ってつぶやいていた。
だから言ってやったよ。勘違いするなよ、諦めろって言ってるわけじゃない! って。
こんな風に邪魔されたら別のやり方を探せばいいだろうが。水炊きくらい食えないことはないんだよ。ミラノだって行けないことはないんだよ。
無理だと思ったら、そこで面白くもない常識に食われんだよ。そして、そうなったことにすら気づかなくなるんだ。そんな奴らの分まで、世界ってやつを見て来いよ! ……なんてまくしたててさ。そこからはまとめきれないままの言葉が飛び出して、自分でも何て言ってたのか覚えてねえや。炳さんがにやにやしながら俺たちを見てて、そこで我に帰ったね。
思えば青臭かったよな、俺も。でも、だからこそ、常識様に完璧に飼い殺しにはされてなかったんだろうよ。
あの二人に言ってやってから気づいた。世界を全部知るには足りないものが多すぎたけどさ、その一部くらい追っかけてやるくらい、俺にだってできるじゃないか、って。
で、気づいたら追いかけないわけにはいかないよな。ほんの思いつきだったんだけど、二人に、水炊き食べてみるか、って聞いてみたんだ。そしたら、しおれた青菜だったのが活きの良い魚みたいになっちゃってさ。
水炊き! 水炊き! って飛び跳ねる子供たちを見た炳さんが、水炊きの店とか知っとうとか? って訊いてきた。思いつきで言っちゃったもんで、実を言うと知らないんですよ、って俺が答えたら、炳さんは満足そうな顔で、俺についてきい、案内しちゃるよ、って歩き出した。
案内されたのは、鶏肉にこだわる件の店じゃあなかったよ。俺たちが入ったのは、件の店を中途半端に真似して、こだわりなんてこれっぽっちもない、やっすい水炊きを出す店だった。
おっと、炳さんの知り合いが切り盛りしてた店にあんまり文句は言えねえな。ただ、自分の家に帰ってきたような気分になれた場所だったから、嫌いじゃないよ、あの店は。
お品書きを渡されたんだが、四人とも食べるものは決まってた。そういや、生まれて初めて水炊きを食べたのはこの時だね。だからだろうな、水炊きを食べる時は今でも、この日のことを思い出すんだ。
とみ子と弥太郎の顔も、水炊きの味も、俺の青臭い希望論も。
それに、ミラノに行ってみたいなあ、なんて言い合いながら店の席に座ったことも。万国博覧会ってのを見てみたいな、なんて思いながら注文したことも。世界ってやつを見てみたい! って鶏肉にかぶりついたことも。

いまだに、あれより美味い水炊きは食ったことねえな。

 

≪講評≫
「水炊き列車」という題名から惹かれた。喩えとしても秀逸なのだが、調べてみると実際にそう呼ばれた列車便があったと言う。構想と構図が緻密にからんで速度感のある文体によく昇華されている。機関車のしくみなどもよく調べられている。人物設定や描写、時代背景は、唐突なようでいて、不自然ではない。自らの 小説としての着地点が明確であるからだろう、リアルな既視感をともなって楽しく読ませる。読後、同じ作者の作品をもっと読んでみたいと思った。それだけの力がある。

萩原健次郎