【エッセイ部門・優秀賞】幸せはいつも自分の心が決める

東京都立国分寺高等学校第3学年 長澤 いのり

「幸せはいつも自分の心が決める。」中学生の時、先生が教えてくれた言葉だ。当時は、この言葉に何度も救われた。思うようにならなかったことも、前向きにとらえ直し、この状況は幸せだと感じられるようになったのだ。
しかし、最近この言葉は、以前とは違う、嫌な重さを持つようになった。
文化祭の役割分担を、クラスで行った時のことだ。私達三年生にとっては、高校生活最後の大切な行事だった。私は劇のキャストに興味を持っていたが、大勢の前でうまく演技できる自信がなかった。迷ったが結局、小道具係に立候補した。しかし、劇を見ていると、苦い思いで心が一杯になった。「自信はなくてもやはり、一番やりたいキャストをやれば良かった。」そう思うと、最後の文化祭が、とても残念なものになってしまった気がした。
その時私は、「幸せはいつも自分の心が決める。」という言葉に、なぜ重いものを感じるようになったかが分かった。小中学生の頃は、出来事の多くが受身で起こる。地元の学校へ入学する。皆が同じ授業を受ける。行事の役割もなんとなく決まる。自分で考えて選択したわけではないから、思う結果が得られなくても、それを幸せな状況だととらえ直すことは難しくなかった。しかし、成長するにつれて、自分で選択することが増える。自分の能力に適した役割を見つけ、活躍できる場を選ぶ。自分の将来に役立つ授業を選ぶ。自分の夢に近づける大学を選ぶなど、数限りない選択がある。目の前にある状況はもはや、偶然起こったものではない。自分で悩んで選んだからこそ、その結果に満足できなかった時、これでいいのだ、幸せだと、とらえ直すことが難しくなってしまった。そして、自分の選択に対する後悔の気持ちが生まれると、その思いにとらわれて、幸せにつなげられるような発想の転換ができなくなってしまう。「幸せはいつも自分の心が決める。」という言葉に支えられていたはずだった。しかし、それができない自分に苦しむようになってしまったのだ。
だが、この葛藤を繰り返すうちに、自分の中で少しずつ確かになっていたことがある。
文化祭が終わってからも後悔は続いたが、文化祭をこのまま「嫌な思い出」「間違った選択」で終わらせたくなかった。だから自分にたくさん問いかけをし、答えを紙に書いてみた。「何が一番大きな後悔か。」「キャストをやらなかったこと。」「どうしてキャストをやりたかったのか。」「挑戦することで成長できると思ったから。」「なぜ挑戦する場は文化祭でなくてはだめなのか。」「高校生活最後だから。」……。こんな風に自問自答を繰り返し、後悔の理由を具体的にしていった。すると、自分は高校生活最後ということに、強くこだわりを持ちすぎていたことが分かった。そして、この気持ちが明確になるにつれて、過去にばかり向いていた自分の気持ちの方向性が、変わり始めているのを感じた。「この先、同じような機会があったらどうしたいか。」「今度は絶対挑戦する。」……。次第に、紙に書く言葉が、過去のことだけに執着した、マイナス思考の言葉ではなくなってきた。
人はよく、何かに後悔した時、「過去にこだわっていてもしょうがない。過ぎたことは忘れた方がいい。」と言う。しかし、私はそうは思わない。確かに自問自答を繰り返すことは、自分の後悔と向きあうことだから、とても辛い。それでも、過去に対する後悔から離れられない負の感情、その一つ一つに耳を傾けるのだ。そして、ただ漠然とあった負の感情をはっきりさせるのだ。そうすることによって初めて、過去にばかり向いていた気持ちの方向性を、変えることができるのだと思う。
物理の本に「再帰反射」という言葉を見つけた。光学上の特殊な反射の仕組みで、入射した光が、再び逆方向へ帰る現象だ。私の体験も、似たようなことが言えると思った。
過去を鏡面に仕上げることによって、過去に向かっていく光のベクトルは、今度は再帰的に反射されて、逆方向、未来の方向に向かって直進していく。つまり、過去を明確にすることによって、過去にばかりとらわれていた心の向きを、「幸せ」の方向に変えることができるのだ。
これから先、文化祭での体験よりもっと大きな選択をする時が何度もあるだろう。「幸せはいつも自分の心が決める。」ということが、もっと難しくなるだろう。しかしその時に、「不幸せな過去」のままにしておいてはだめだ。最後にこの言葉に戻れるように、自分の心の向きを変えられる力が必要だ。そして、日常生活の中での後悔を、その力を強めていくチャンスにすることができるのだ。
「幸せはいつも自分の心が決める。」この言葉が、どんな時でも、自分の軸になるような生き方がしたい。