【エッセイ部門・優秀賞】僕とオカンと、ときどき他人

岡山県立岡山城東高等学校 第2 学年 細川 成弥

 「ただいま、ヤクルトもらってきたわ。ハア~今日も疲れた。今日な、同じパートの○○さんが、舌打ちしてきやがってな、ほんとあいつは…。」
「ほえ~、ヤクルト飲んでいい?」
夕方になると、スーパーのパートから帰宅したオカンの仕事の愚痴を聞く、それは毎度のようになっている。愚痴といっても、その話の中には、変わった客の話や大量発注のミスの話など面白おかしいものも含まれていて、いつも僕は適当に相槌を打ちながら、ラジオのように聞いている。
 そんなオカンの愚痴が、ある日いつもとは違った。
「今日、品出し中に声をかけてきたおじいちゃんがね、『忙しいのにごめんよ、あんの緑色の飲み物はどこにあるんかな?』って聞いてきて、結局青汁だったんだけど、一緒に取りに行った後に、『忙しいのにごめんね、ありがとね。』って言ってくれて、別に謝る必要なんてないのにって思ってたんよね。」
「緑色ってヒントで答え青かい。」なんて、適当な返事をしながら、僕はふと、ある会話を思い出した。
 数日前の放課後、図書委員会のポスター制作を、同じクラスの同じく図書委員の女学生と行っていた。
「もう終わりでいんじゃない、担当部分はおわったし、あとは明日作業する人が仕上げてくれるでしょー。」
「時間あるし、もう少しやっとこうよ、明日の人のために。」
僕の明らかに面倒くさいという態度が、彼女に伝わったのだろう。
「細川君って、薄情なんだね。」
「うん。」
今まで自分が親切だなんて思ったこともない僕には、大して『薄情』という言葉は刺さらなかったが、その後の彼女の発言には、ひっかかった。片づけをしながら彼女がハッと何かに気づくと、
「細川君はやっぱり親切だね。」
「報道番組より訂正早いな。」なんて思ったが、とりあえず黙っておいた。
それから彼女は、僕が仮止めとして貼ったセロハンテープと明日の担当者への指示書きを指して言う。
「テープが剥がしやすいように片側を折り返して持ち手を作ってるし、指示も迷わないように細かく丁寧な言葉で書いてる、私は思いつきもしなかった。」
「こんなの普通じゃない?」と返してこの会話は終わったが、オカンの話を聞いて、なぜ彼女が僕に親切と言ったのかわかった。
 オカンにも僕にも共通してとった行動に対しての当たり前という考え方があった。つまり、客に商品について聞かれたから作業をやめて一緒に探すという行動も、他人が引き継いだときにすぐに作業に取り掛かることができるようにするためのひと手間も、自分のすべき仕事の範疇という認識があったのである。それに対し、青汁のおじいちゃんと女学生には、それらの行動はやってくれるだろう仕事の範疇を超えていたのだ。これが、おじいちゃんが謝罪と感謝をし、女学生が薄情から親切だと言い換えた理由だろう。それにしても、女学生なんて使って話に重圧感をだそうとしたが、フォークソングのような古めかしさが出ただけのようだ。
 話を戻すが、自分の想像していなかったことを他人が自分のために、あるいは、別の他人のためにしたとき、人は親切だと感じるのだと気づいてから、わたしはイライラすることが減った。今までは「あいつ気が利かねえな。」とか「この店のサービス悪いな。」とか、自分勝手に当然やってくれるだろうということを決めつけて、知らずにそれを人に押し付けて、一人怒りを覚えていたことも、今では捉え方を変えて、「あぁ、あいつは注意の及ぶ範囲が僕より小さいんだな。」「この店ではこのサービスに力をいれているわけではないんだな。」ってあっさりと考えるようになった。聖人のような考え方になったわけではないけれど、マシな考えになったと思う。すべての人間がこんな考えを持てたらなんて願いはしないが、他人と自分には、考え、想像の範囲に違いがあるなんて当然のことが大切だと改めて認識するのもいいんじゃないかなって。そこで、試しにオカンに話してみた。
「なるほどね~、確かにそうかもね。」
いったいどのような変化が訪れるのかと楽しみにしていたが、
「ただいま、今日はほんと疲れた。ベーカリーにパンもらった。ハア~今日声かけてきたオバハンがさぁ…。」
「ほえ~、パン食べていい?」
どうやらこのラジオへの僕の投稿は受け付けられなかったようだ。